2006年11月26日
城彰二選手
テニスネタがあまりないので、また少しサッカーネタ。
城彰二選手が、引退しますね。
以前何かで読んで、知ってはいたのですが、高校時代から前十時靭帯を切って手術をしないままプーレーを続けていたみたいですね。左膝だったかな?自分の経験から言うと、おそらく両膝とも悪くしているのでは?
これが、不思議な事に前十時を切っても、1ヶ月もすると痛みもなくなり今までと同じぐらい動ける。ただし、膝崩れを起こし易くなる。膝崩れも、しょっちゅう起こる物じゃないから、手術で10ヶ月から1年もブランクが空く事を考えれば、がまんしてここまでやってこれたのだと思う。
でも、膝崩れが起こるたびに、他の靭帯、半月板、軟骨などを痛めていたことだろう。変形性膝関節症の初期段階にはいっていたかもしれない。
はたからみれば、1年かかっても早めに手術するべきだと思われるかもしれないが、本人にとってはこれがベストな選択だったかもしれない。再建手術は、他の膝の靭帯を移植するためリスクも伴うからだ。
まあ、知ったげに書いてしまったけど、ごめんなさい、城選手、ずっと追いかけていた訳ではないので、部分部分しか活躍していたことを知りません。ファンの方、気を悪くされたら、ごめんなさい。
城彰二選手が、引退しますね。
以前何かで読んで、知ってはいたのですが、高校時代から前十時靭帯を切って手術をしないままプーレーを続けていたみたいですね。左膝だったかな?自分の経験から言うと、おそらく両膝とも悪くしているのでは?
これが、不思議な事に前十時を切っても、1ヶ月もすると痛みもなくなり今までと同じぐらい動ける。ただし、膝崩れを起こし易くなる。膝崩れも、しょっちゅう起こる物じゃないから、手術で10ヶ月から1年もブランクが空く事を考えれば、がまんしてここまでやってこれたのだと思う。
でも、膝崩れが起こるたびに、他の靭帯、半月板、軟骨などを痛めていたことだろう。変形性膝関節症の初期段階にはいっていたかもしれない。
はたからみれば、1年かかっても早めに手術するべきだと思われるかもしれないが、本人にとってはこれがベストな選択だったかもしれない。再建手術は、他の膝の靭帯を移植するためリスクも伴うからだ。
まあ、知ったげに書いてしまったけど、ごめんなさい、城選手、ずっと追いかけていた訳ではないので、部分部分しか活躍していたことを知りません。ファンの方、気を悪くされたら、ごめんなさい。
いつだったか、大きな大会でヘマをして、
出待ちしていたサポーターに卵を投げつけられた事が記憶にあります。
何もそこまでせんでも。。。て感じで見てたけど、
同じケガしてたのねぇ~。
じゃあ、まさやも卵ね。
ちなみに、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
城 彰二
(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、北海道室蘭市出まれ、鹿児島県姶良郡加治木町育ちのサッカー選手。名前は彰二だが長男である。(?)
ポジションはFW。元サッカー日本代表。現在は横浜FCに所属。背番号は9。J1での通算得点は95得点で中山雅史、三浦知良、藤田俊哉に次ぐ現在第4位。国際Aマッチでは36試合7得点。ゴールを決めると前転宙返りのパフォーマンスをすることがある。(?)
海外ではスペイン・バリャドリードでもレンタルでプレーし、ほぼレギュラーとして活躍。得点こそオビエド戦で挙げた2得点にとどまったが、ポストプレーなどでのチームへの貢献が評価され、シーズン終了後に完全移籍やレンタルの延長が検討されたが、日本代表の試合での負傷がきっかけで、高校時代から膝の前十字靭帯を切ったままプレーを続けていたことが発覚し、契約を見送られてしまった。
日本代表ではフランスW杯アジア最終予選で悲願の初出場に貢献。 しかしエースストライカーとして臨んだフランスW杯本戦では得点することが出来ずチームも3戦全敗を喫してしまい、一部の心ないファンにより帰国後成田国際空港で清涼飲料水をかけられる事件が発生してしまう。